2005/04/25

ゴスペラーズのライブレポなのに

彼等のプロデューサーの中山(最早呼び捨て)に喧嘩売ってる文章になった

書けば書くほど喧嘩売る内容になっていった。
別に辛口なことを書いてるつもりでも
『辛口なこと書けるコアなファンなアテクシ』なつもりでもない。
毒吐けばコアなファンだとカンチガイしてる輩が多すぎるので
一緒にされると結構心外だ。
ブサイクマッチョだと毒は吐くが、『永遠に』は大好きだ。
あのベタベタ感にやられてるんだ。名曲だよ。
ゴスペラズは昔から知ってるが、好きになったのはここ数年だ。
それまではシングルしか知らなかった。
ライブだって去年のツアーが初体験だった。あ、昔HMVインストアは
行ったのかな。殆ど覚えてないけど。
っつーことで、コアでも何でもない、ただ好きなだけの私のレポ行きます。
レポッつーよりコラムだな。



ゴスペラーズのライブはクオリティが高い。
業界でも評判がよい。楽しい。面白い。

その通りだ。ゴスペラズのライブは凄く楽しい。
��0年のキャリアの賜物であり、プロだ。
レベルだって高いと思う。歌の上手さは別として、
ナマの良さを凝縮したステージで客を楽しませることに長けている。

そして今回も予想通り素晴らしくよかった。
��0年間やり続けてきたことの集大成と言うわけでもないんだろうけど
��0年かけて上ってきた坂の、今の時点で一番高いところから
会場の客を全部がっちり掴んで離さない。
本当にいいライブだった。


なのになんでだろう。
このライブをよかったと思う一方で、違うだろうと言う想いが拭えない。
レベルが高いライブなのだ。物凄く。
去年のツアーは6回も観に行ってしまったが、平均点も高かった。
神奈川県民ホールのやる気のないMCはむかついたが
滋賀も沖縄も横須賀も東京もどこもよかった。
テンションに若干ムラがあるのは許容範囲として、
平均点がとても高いライブだった。
今回もそう。喉の調子が悪くても何でも、彼等はライブの平均点が高い。
だけど、例えるならば『模範解答で80点』と言う感じなのだ。

誰かが求めてる回答を求められたとおりに紡いだ感じ。
キャリアに裏づけされた自身を彼等は持ってて、
ステージングは堂々としてるけど。そこにはプロ意識がはっきり出てるけど
だけど、どこかしら彼等以外の力が存在している気がするのだ。

「スタッフのおかげでこのライブができました。」

とは違う。なんか、物凄く奇妙な圧力。
凄く、圧迫感があるのだ。鬱屈してる感じなのだ。
ライブ全部が、そして、ゴスペラーズ自身が。


��Cでヤスオカユタカが言ってた『ライブが一番楽しい』は嘘じゃない。
絶対に嘘じゃないけど、このライブじゃないだろうと思った。
明らかに、彼等には『枠』があつらわれている。
それはライブじゃなくて最近のシングルを聴くたびに思うものだったが
今回のライブで、ライブにも『枠』があることに気付いた。
その枠を作ってるのが、プロデューサーの中山だったり演出の小池だったり
してるんだろうと思う。

キューンソニーに喧嘩売るが、私は中山が嫌いだ。

『タイトルは3文字で、バラードで。』
なんて支持を出すアホがどこにいるのかと思ったらここにいる。
『永遠に』のブレイクを引っ張り続けて『ミモザ』まで来てる。
��0年代トレンディドラマから抜け出せない古いセンスと
彼等の才能を信じきれない浅はかさと
彼女自身がマニュアルに囚われてくだらないプロデューサーに
成り下がっている。マジ、どうしようもねえと思う。

彼女の固定観念は素晴らしく凝り固まっていて、
ゴスペラーズという器の計り知れないとんでもないバケモノに対してでも
その小さな枠の中に無理やり当てはめようとする。
そして、そこからはみ出るのを許さない。

そんな風に端から見えるのだ。
シングルとアルバムの曲のギャップだけでも。あのライブだけでも。
アルバム『Dressed up to the Nines』や『Soul Serenade』を聴けば
一般の人の彼等のイメージは変わるだろう。
彼等は、普遍的なラブソングだけを唄う連中じゃない。
なんせ全員三十路越えだ。ドロドロに濃い歌だってガンガン唄う。
むしろ、その濃さが彼等の真骨頂だとも思う。

だけど、中山の作る枠の中にその『濃さ』は介在しない。
��ステで言われたような『ゴスペラーズ、逆切れ』で
好き勝手作って生まれた濃い楽曲や、あのドロドロしたものは
中山の『ゴスペラーズ』には存在しない。
洗練されたものだけをよしとする、カンチガイトレンディドラマ世代の女。
それが中山なんだと私は認識した。

ゴスペラーズは、ライブ中もがいてるようにも思えた。
枠の中からどうしてもはみ出せなくて、苦しんでる感じがした。
その中の必死の抵抗が『夢の外』や『FIVE KEYS』であり、
『FIVE KEYS』をライブの定番曲にしたのはその抵抗が身を結んだ証なんだと思う。

ゴスペラーズの魅力は、洗練された奇麗事の愛の歌じゃない。
泥臭い、ナマナマしい熱さだと思う。
長いことブレイクせずに業界内での評判は高かった。

ブレイク前からライブには定評があった。
それこそが彼等の武器なのに、売れてしまったせいで周りの圧力で
その武器を堂々と振り回すことができなくなってしまった。


前のツアーの『Sweet』に鳥肌が立ったりとか
『ポーカーフェイス』で狂うくらい熱くなったとか。
そういうのは決して自分の好みの曲だったからだけじゃないと思う。
そもそも『Sweet』はライブで聴くまでそこまで好きじゃなかったし。
あの押し付けられた枠の中でさえ、ああやって本当の自分達の片鱗を見せることができるんだから。
彼等はもっと無茶をするべきだ。
本当に彼等がやりたいライブを好き勝手に作っていいはずだ。
それを観ないことにはゴスペラーズのライブを評価なんてできない。

��0年たった今だからこそ、自分達の好きなようにやったってちゃんとやりきる実力があるだろう。
キャリアに裏打ちされた自信の居場所がなくて、もがいてる彼等を
どうしても勿体無く思ってしまう。
そんなライブだった。


つまり、ゴスペラーズはキューンを離れろと。
いや、中山がいなくなればいいだけの話なんだけど。

以上。ネットの片隅でソニーに喧嘩を売ってみました。



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