ハイスタ全盛期の頃、例に漏れず私もいわゆる「コア系」を聴いていた。
勿論ハイスタだって聴いてたし、スネイルのが好きだったとはいえ、ハイスタも好きだった。
だけどライブに行くほどはのめりこまずに、いつの間にかハイスタは伝説になってしまっていた。
それから何年かたって大人になった私が、KEN YOKOYAMAのステージを観る事になった。
彼の右腕に刻まれた、彼の息子の名前が。
今の私が彼の音楽に出会えた嬉しさの全てだと思った。
時間は、ちゃんと流れている。
私の世界は淀みなく回っている。
彼の放つパンクロックは決してモラトリアムやルサンチマンの代弁ではなく、
お子様の稚拙な反骨精神を煽るツールではなく、
この世界に絶望してる人が縋る祈りでもない。
私はこの世界に失望なんかしてないし、子どもじゃないから。
彼の歌に縋らない。彼の歌に歪んだ意義や意味を持たせない。
ただ、ただ。
彼の音楽を気持ちいいと思った。彼のライブを楽しいと思った。いいライブだと、そう思った。それだけを。
この世界をちゃんと生きてる人が放つ音が、この世界に失望してない私を楽しませてくれる。
彼が魂を削って生み出している音楽は救いなんて重さは持たない。
ただ、この世界に響いて、この世界を生きてる人が少しだけ幸せになれる。
そして彼は音楽をやれていることに幸せを見出している(と、思う。
彼は一個の社会人で、人の夫で、レーベルの主宰で、人の親だ。
世界と真っ直ぐに向き合ってる人の音楽を、
世界を拒絶してる人間が崇め奉るのは気に入らない。
HIPHOPもパンクも。リスナーの(あるいは演者の)そういう姿勢が気に入らないんだけど、
いまだ伝説でカリスマな彼がそういう痛い人の真逆を行っているのは、そして
真逆を行きながらもトップを走っているのはとても痛快だと思う。
圧倒的な存在感。見事としか言いようのないステージングの源は、
彼がこの世界を真っ直ぐ生きていることに他ならないのだろう。
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