2006/03/13
あくしゅ。
ってな感じのライブイベントで暴れたあとにBreakthroughというイベントに行ったのです。
レイドバックス観に行ったわけです。眠いけど。
んで、会いたかった人みんなと挨拶できて、みんな手を差し出して握手してくれて。
会いたかった人の内訳は、レイドバックスのメムバー、トリカブトの大自然さん、
ミクシでメールしてずっと会いたかったお姉さん、それからライムスタの漢DJ。
みんな手があったかくて、じんとした。
んで、みんな優しくて観に来てくれてありがとうねーとか言ってくれて、
伴侶連れてきたって言ったらちょっと受けたり喜んでくれたりして。
それはそれはとても嬉しかったのだけど。
みんなが握手してくれて、そのときに
「ああ、この手が私の好きな音を生んでるんだなー。」
ってしみじみ思ったらちょっとぐっときた。
私の好きな音を生み出す手に触れられる奇跡ってすげーな。
同じ時代を生きていられて良かったと大げさじゃなくそう思う。
ジンさんはへべれけだったけどね。
そして、私があくしゅしたいと思う手の持ち主、音の源の命日はあさって。
少し生まれるのが遅くて、気がつくのが遅くて。
死ぬのが早すぎたんだ。
今年こそは夢の中であくしゅ、できるかな。
彼の音を今も大事に抱きしめてこの世界に新しい音を生み出した人にも、今年は会いたいな。
2006/03/08
彼はカリスマ
ハイスタ全盛期の頃、例に漏れず私もいわゆる「コア系」を聴いていた。
勿論ハイスタだって聴いてたし、スネイルのが好きだったとはいえ、ハイスタも好きだった。
だけどライブに行くほどはのめりこまずに、いつの間にかハイスタは伝説になってしまっていた。
それから何年かたって大人になった私が、KEN YOKOYAMAのステージを観る事になった。
彼の右腕に刻まれた、彼の息子の名前が。
今の私が彼の音楽に出会えた嬉しさの全てだと思った。
時間は、ちゃんと流れている。
私の世界は淀みなく回っている。
彼の放つパンクロックは決してモラトリアムやルサンチマンの代弁ではなく、
お子様の稚拙な反骨精神を煽るツールではなく、
この世界に絶望してる人が縋る祈りでもない。
私はこの世界に失望なんかしてないし、子どもじゃないから。
彼の歌に縋らない。彼の歌に歪んだ意義や意味を持たせない。
ただ、ただ。
彼の音楽を気持ちいいと思った。彼のライブを楽しいと思った。いいライブだと、そう思った。それだけを。
この世界をちゃんと生きてる人が放つ音が、この世界に失望してない私を楽しませてくれる。
彼が魂を削って生み出している音楽は救いなんて重さは持たない。
ただ、この世界に響いて、この世界を生きてる人が少しだけ幸せになれる。
そして彼は音楽をやれていることに幸せを見出している(と、思う。
彼は一個の社会人で、人の夫で、レーベルの主宰で、人の親だ。
世界と真っ直ぐに向き合ってる人の音楽を、
世界を拒絶してる人間が崇め奉るのは気に入らない。
HIPHOPもパンクも。リスナーの(あるいは演者の)そういう姿勢が気に入らないんだけど、
いまだ伝説でカリスマな彼がそういう痛い人の真逆を行っているのは、そして
真逆を行きながらもトップを走っているのはとても痛快だと思う。
圧倒的な存在感。見事としか言いようのないステージングの源は、
彼がこの世界を真っ直ぐ生きていることに他ならないのだろう。
2006/03/04
卑屈になる、なる。
できないことが多すぎて、なにをやっても自信が持てずに不安でびくびくおどおど。
これじゃいかんと気合入れてやった仕事は空回りの上に
取り返しのつかないミスをしてしまい、これからお詫びの電話をいれることに。
まだ入社して1ヶ月半だからがんばればいいよ、伸びる余地はきっとあるよなんて
ポジティブシンキングをしてみても
もう1ヵ月半もたったのに私は何でこんなにどんくさいんだろうって
結局自分で自分が情けなくて凹むばかり。
お詫びの電話を入れるのも怖いし
明日仕事で現場に行くのも怖いし
あさって会社に行くのも怖い。
ばかでごめんなさいと心底思う。
どうやったらとりかえせるかなんて全くわからないけど、
ちゃんとケツまくって自分で自分のケツ拭けるようになりてーな。
前の会社でできてたことができないっつのは、あれか?退化してるってことか?