2007/09/10

おかえりなさいが待っている

吹っ切ったな、というか戻ってきたな、と思ったのが最初の感想だった。
決定的に違うけれど、だけど自分が好きになったジャクソンがそこにいた。
……っつーことで仙台と渋谷のレポを書こうと思ったんだけど
その前に今年に入ってからのジャクソンに対する四方山トークなんぞ。
ネガティブだった時期が俺様にもありましたw
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「変えたいから」変わろうともがくのと
「変えなきゃいけないから」変わろうとするのは違うし
「変わったところを見せないといけないから」変わろうとするのはもっと違う。
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「変わったところを見せて、納得させなきゃいけない」
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と、彼等は思い込んでいたようにずっと見えていた。
それは多分、私を含めた元々Jackson vibeを知っていた人たちに対して。
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ジャクソンのライブのあったかさが好きだった。
もちろんモッシュが発生するくらい激しい曲もあるし、彼等が生む熱は
「あったかい」なんて言葉よりもずっとずっと熱いものだけれど
根底に流れるあたたかさと優しさが大好きだった。
音楽が好きで、丁寧に音を紡ぐジャクソンが大好きだった。
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今年に入ってから音が変わった。
それは至極当然のことなんだけれど、ライブも変わった。
思いっきり飛んだり暴れたりが増えた。だけど、決定的に失われたものがあった。
「荒々しい」のと「粗い」のは違う。
ライブでの勢いを大切にするあまり、演奏が明らかに雑になってしまっている。
暴れられればいいライブってわけじゃない。
確かに楽しいけれど、ライブに行く度に残る違和感はツアーが終わる時には
はっきりと理由がわかるまでに大きくなってしまっていた。
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6月の終わりに仙台に無理やり行ったのは、
高知と東京で感じた違和感を確かめたかったからだった。
楽しかったけどやっぱり違和感は違和感のままだったし、
そのあとのタワレコのインストアでアコースティックライブを見たときは
普段とは違うスタイルってこともあって3人ともものすごく丁寧で
やっぱりジャクソン最高だよ、なんて思ったから
演奏が雑になってるのは、気のせいじゃないとはっきり思えた。
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自分が持ってる違和感は、自分のせいだと思ってた。
ちょっと色々ゴタゴタしてたからライブ楽しめなかったのかな、とか
そもそも私にとって一番大好きな音が失われているわけだから
どうしたって悲観的な見方をしてるかもしれない、とか
そういう風に自分のせいだと思ってた。
はっきりと自分の中でもケリをつけたし、最後だって見届けたんだけど
その一方であの音を唯一無二だと思ってて今でも再会を待ってるのも事実で。
多分私は悔しかったんだと思う。
須川さんがいなくなったジャクソンが、
新しいジャクソンとして思う通りの音を出してないことが悔しかったんだと思う。
リスナーを納得させるために変えようとしているように見えて
だったらあんな悲しい決断しなくてよかったじゃん、って。
今までどおりでよかったじゃん、って。聞き分けの悪い子供のように悔しかった。
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まあその他、この身に降りかかってきた災いなんぞもありましてw
割とネガティブだったんですが、夏の終わりに最大級ぶっちゃけた酒を飲み、
自分が決してドラゲイマーへの愛情だけでw
否定的な見方をしてるわけではないとそこで漸く安心できた。
そんなこんなで「好きだから信じてる」という乙女的結論を導き出し、
SEが被ってる上にライブの上手さには定評のある鶴との対バンを観に仙台へ。
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ライブ前の不安はどこへいったのやら。

ライブ中に「ええええええええええ」と思うことがなかった。
敢えて言うならばグロさんの小島よしおの物真似と、王様の「ベースでーす」という
気の抜けきった自己紹介くらいかw
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んで、3日後の渋谷。
「これなんて同窓会?」的なイベントに立ったジャクソンは、
もうほんとにちゃんと「Jackson vibe」だった。
ライブレポはまた明日。



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